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コロナ禍の反省はどこに? 政治は変わらない・・・

 ここ1~2年、TVのニュースは、大きな事件がない限りトップはコロナ関連であったが、昨今は自民党総裁選のためかこれがトップになったりと目まぐるしい。国会で過半数を占める自民党、そのトップが首相になるだけに国民の関心も少なくはない。候補者は、相も変わらずの古参組、選挙になれば元気が出てくる面々だ。9月12日のユーボイスに掲載したコロナ禍についての政策はお愛想程度に置かれている。内容も今世間で問題になっていることを取り上げただけで、さすがと唸らせるものはない。


 コロナの感染者数はこのところ大幅に減少しているが、おさまる気配はない。今はおそらく変異株が更に変異しつつある期間と見ることもできる。第五波まで来たのだから第六波は来ないという保障は何もない。今こそ、この時期に応急処置、医療体制固め、影響下諸産業の今後の対策等やるべきことはたくさんあるはず。長引くコロナ禍の真っ只中だけに、これらが候補者の政策、主張の半分以上をコロナが占めていてもいいのだが。

 どうも候補者のコロナに対する認識はここに至っても低いと言わざるを得ない。このコロナは、感染者数が国内で168万人、死者が1万7千人、日々54人の死者(日経9月22日調べ)という数値でその後も更新を続けている。しかも入院したくても入院できず自宅療法の患者が1万2千人ほどいるという非常事態下にあってもだ。今はコロナを政策の中心に掲げて政治論争すべきだ。9月12日のユーボイスで指摘したが、候補者の立候補に際しての政策案をみるかぎりコロナ発生後今日まで十分な手立てをしてこなかったことの証であるようにみえる。国民全てを巻き込んだ大事件、しかもその渦中にありながらである。こうした候補者が他の政策ではきちっと実行するとは思えない。相変わらず選挙用の綺麗ごと、受けのいい政治課題を並べているにすぎないように感じられる。

 候補者4氏は“ 自民党を変える ”ことを強調する。とかく党首選ともなると自民党に限らず、これは常套芸である。自分のすきなようにしたいというための口実のようだ。小手先のことだけでは何も変わらない。案の定各党とも今なお変わることなしに現在に至っているではないか。過去に大きく変わったときと言えば党が分裂するときであったぐらいだ。政党政治の限界なのかもしれない。戦前には旧憲法下、家長を中心に封建的な社会が残る風土の中では、党を中心にした政治活動は馴染める状況にあった。戦後の日本は、現憲法が公布され民主主義社会へと大きな方向転換を余儀なくされた。世界の主要国をはじめ多くの国々もその方向でやってきた。ところがこれらの国と日本との大きな違いは、“ 大統領制 ”を引いているかどうかにある。つまり、国民の意思がダイレクトにトップの選択に反映される仕組みがあるかどうかにあるのだ。ここが欠けていることが、日本の政治制度を中途半端なものにしてしまっている。

 コロナ禍、政府と国民の間の距離は大きく開いた。コロナがまん延していく中でますますその距離は大きくなり、政府の施策は後手後手になりすぎた。党利党略、個利個略から首相であっても居場所がなくなり辞任せざるをえなくなった。このコロナ禍の真っ只中においてだ。原因はコロナより党を、自己自身を守ることに走ってしまうという忌々しき事態にある。世界を長きに渡って巻き込んでいるコロナ禍は、戦争と同様に有事だ。この有事の時にこのような事態になるのは恐ろしいことである。戦前は日本古来の社会制度のなかで有事に際して国民はまとまることができたが、民主化、洋風化された現代において戦争が勃発すれば、老若男女の価値観、思想等々のギャップから国民の結束は容易でなく、そこにトップ不在が追い打ちをかければ結果は歴然としている。近年、日本を取り巻く周辺国は安心できる状況にないだけに、非常に懸念される。

 今回の自民党の総裁選挙では、多くの国民は、代議士を選んでいるとはいえ蚊帳の外である。特にコロナでは民意は十分に反映されていなかった。そうした中で国のトップを選ぶ選挙が、一つの党ので意向で決まることは大問題と言える。国民の不安もコロナで大きく増幅しており、従来以上にこの選挙の結末に国民は注視している。こうした不安定さを生む現在の政治制度は、抜本的に見直す時期にきているようだ。有事の際のトップのトンずらを防ぐために、国のトップは「党の改革」を越えた次元、つまり国民の直接選挙で選ぶという政治の大改革を真剣に考える必要がある。 

 国民の直接選挙で国のトップが決まるとなれば、トップ、つまり大統領にある程度の大きな権限が付与されるようになれば、今回のコロナ禍においてもそうであるが、党派を越えた即断で他国に遅れず迅速に手を打てたはずだ。党派のあり方も大きく変わってこよう。この直接選挙に基づく大統領制は、日本文化に根差した、日本文化を尊重した和の大統領であってもいいだろう。勿論、国会、国民によるリコール制度も兼ね備えたものだ。
これにより党中心で頭数の多さで仕事をしてきた国会議員は党に媚びることなく、党の縛りから解放されて政治のプロとしての本来の議員活動に専念せざるを得なくなるだろう。また、国民の目が議員一人ひとりに向いているだけに、安易な妥協、忖度は許されず、国民が納得する成果を得るべく突っ込んだ取り組みを議員に期待できそう。はたまた国民の側も国のトップを自分たちで直接選出でき、政策への反映が早くなるだけに政治への関心が相当に高まるだろう。これこそ正に日本の国民総活性化だ。    

 

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コロナ禍、救急車搬送されても入院できない異常事態下に。菅首相は党総裁選不出馬(首相辞任)宣言で党内混迷、コロナ危機意識のなさ露呈

 衆議院の任期満了を控え支持率大幅低下の菅首相が党利党略、自身再任へ個利個略に走った矢先の9月3日、首相の党総裁選不出馬、つまり首相の辞任発表があった。現行政権の無策ぶりを先日(9月1日)、ユーボイスに掲載した直後でもあった。コロナ緊急対策で臨時国会開催を訴えても動きが全く見えなかった党内が、一気に総裁選に色めいた。立候補予定者は、自己の施策をまとめ早々に派閥まわりをはじめる有様だ。 

 菅政権は、新型コロナ感染の真っ只中の昨年9月にスタートした。その当初、コロナ感染回避で“三密”が強く言われていた最中にも関わらず、首相自ら財界との集団会食が発覚、反省の弁を言ったにも関わらず2回、3回と会食が続き国民の信頼を落とす。ここまでして財界等との会合を強行したのは、コロナより経済重視の表れであったと思われる。この時期に、経済、社会、医療への力の入れ具合、配分を間違ったことが、結果突っ込んだコロナへの取り組みを欠くことになり、それが経済の活力を削ぐことにもなってしまったようだ。

 菅首相は前政権で官房長官という閣僚の要職にあったことから前政権を引き継ぎ、新政権でその勢いが期待されたが、これらは脆くも崩れ去り、経済、社会、特に国民生活の読みの甘さ、コロナへの油断、党内、官僚の掌握のまずさ、力不足が政権運営を早々に行き詰まらせてしまったようだ。とは言っても自民党政権のこと、党の意向が政権運営で取り入れられていたはずである。政府と政権与党である自民党との連携がうまく機能していなかったことも敗退要因と見られ党の責任も免れない。コロナを抑え込むには新法の制定はもとより、現行関連諸法の改正という大仕事があるはずなのに臨時国会も開かずにきたことは、自民党そのものの体質の問題と、政権トップ菅首相の国民への説明責任のなさ、官僚へのにらみ、威圧、首相の自己過信等による独走が退陣を加速させたようだ。

 新型コロナ感染対策では、現行法制が何かと足かせになった。我が国は今回のコロナに限らず、緊急事態が発生した際、とかく初動の遅れが指摘されてきた。コロナ感染による死者が1万7千人弱、自宅療養者を含むコロナ患者が14万人ほど(9月11日現在)と第二次世界大戦後での最大の異常事態である。にも拘わらず今なお危機感の低さと無策には驚かされる。これは自民党政権がために起こりうるものだったと思われる。自民党には派閥というものが多く存在する。また、農業、郵政、医療等といった族議員、政治資金パーティーの存在もある。それぞれが関係先と何らかの関わりがある。これらとの関わりの中で日本の法令は生まれてきたようだ。これが簡単に法改正に取り組めない実情のようにとれる。身から出た錆ともいえる。こうしたことを回避するために政党に多くの資金が国から助成されたり、議員に相当の報酬が支払われいるが、とかく政治と金の関係は、いつの時代でもつきまとっている。議員の欲もあろうかと思われるが、選挙に多くの資金を要することが原因でもある。デジタル化、ネットの時代、選挙のやり方も大きく変わってきてもいいのだが・・・。

 議員は国民から選ばれた言わば政治のプロだ。大きな志を持って選出されてきているはずである。 議員一人ひとりには法令を決めるという大きな権限、力が付与されている 、この一人ひとりの議員が国会で国民の安全、生活向上をしっかりと主張すべきところが、派閥という存在で幹部議員、古参議員等のもとで埋没してしまっている。今回の総裁選では、派閥のトップ、幹部議員と若手議員との政策ギャップで派閥を越えた動き等があり、統率がとれなくなってきている。自民党のかかえる派閥制度の弊害が幾度となくクロースアップされてきた今、コロナ禍を契機に思い切ってメスを入れるべき時にきているようだ。政党、派閥に頼らなくても先の選挙資金(年間300億円程の政党交付金の削減・転用で調達)が議員一人ひとりに直接支給されるような仕組みをつくることを一案として考えられる。これにより議案は従来のような派閥の力で押し通すのではなく、派閥の縛りから解放された議員によってその時々の議案に志を同じくする議員の寄り合い、例えば政策研究会、勉強会等で意見を交わす場、これも今の派閥を越えて複数の会合に自由に行き来できるようなものになれば、議案もこなれて議員の活性化、国会の国民の信頼向上になるばかりでなく、国民も選出した議員の活動状況がよく見え公約確認もできて、日本の政治は大きく変化、発展するものと思われる今回のコロナについても、こうした仕組みがあればもっと早い時期に行動か開始されて、煮詰まった意見の中で現実的な策を講じらることができたであろう。(初動の遅れで、[今のコロナ感染による一日の死者56人(9月11日)]×[初動の遅れ日数]もの多くの国民が不本意な死を遂げてしまった政治責任は大きいですぞ! 他人事ではありません。ワクチンを打っても感染しないという保証はどこにもありません。あなたがこの死者56人の一人であったなら・・・。

 昨年まで続いた安倍政権の長期化は、森友、桜を見る会、加計…等々の問題を起こし、ここ何年か国会は大事な法案、危機管理への法整備等の審議が空転しつづけた。この反動と無策が、今、新型コロナ感染症対策で無能さを露呈してしまった。世界は強硬策を次々と実行するのに、日本は政権にも問題があるが、現行法令下で身動きがとれない状況になってしまっている。また、議員一人ひとりの危機意識の低くさがコロナ禍を一層深刻なものにしてしまった。戦争でもないのにコロナ感染により1万7千人弱の死者、この死者も日々更新、増加の一途だ。この政治責任は見逃せない。 

 今、自民党の 総裁選挙立候補予定者は、 口々に自己の政治主張を繰り広げているが、本物かどうか首をかしげるところだ。菅首相は、政権運営に行き詰まって退陣追い込まれた。昨年9月に政権を引きついで1年ほどでだ。この間、今回の 総裁選挙立候補予定者 は「①自民党政権の一人として、このコロナ禍の一年間余り一体何をしてきたのか。特に新型コロナに関して。」、「②自分が政権を取ったときは、それらをどのように実現、展開していこうとするのか。詳細に」納得できる説明を聞きたいものだ。

また、自民党総裁選で蚊帳の外にいる他党については毎度のように、ただ、批判、建前論ばかり繰り返すのではでなく、まじかに衆議院選挙をひかた時期だけに、①コロナを中心にどういう政策展開をしようとしているのか具体的に、②その実現可能性はどうなのか、③人材はどこから調達するのか、④効果のほどはどのくらいなのか、⑤コストはどれほどかかるのか。⑥どこからそれを工面するのか等々、特にコロナ政策に関しては即実践ができるようなものをこれからの選挙活動を通して、国民にしっかり訴えかけてほしいものだ。

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新型コロナ対策 政府、多くの都道府県とも戦略的政策展開ができておらず、下位レベルの業務にとらわれてしまっていないか!

/昨年(令和2年)初頭ごろから日本で拡大しだした新型コロナウイルス、早々に突然勃発し世間を騒がせた事件は横浜港での外国観光船の新型コロナ集団感染だ。政府をはじめ神奈川県も患者受け入れ病院の手配、船内の感染拡大防止等に手をとられているうちに、全国に新型コロナがまん延、外国観光船事件の延長線上で新型コロナ対応がとられているように見られる。その場しのぎ、後手後手の応急処置、国民への注意の掛け声、行動制限の緊急事態宣言等だけで今日(令和3年夏)に至っている。この間、周期的に感染の大波が繰り返され,今なお終息する様子にない。政府の新型コロナに対する油断、認識、取り組みの甘さ等で、今や国民は疲弊しきっている。

 昨年らいの政府の動きをふりかえってみると、おかしなことに気づく。政府の肝心の政策展開が伺えないのである。例の三密をはじめとして、会食の人数制限、居酒屋の営業時間制限、大規模イベントの制限等々コントロール的な、つまり業務的レベルのことばかり、これらは都道府県の関係部署でやればいいことであって、国はコロナ終息をしっかり見据えて前向き、積極的な行動、もっと次元の高いレベルから、大局的、戦略的政策立案、政策展開に専念すべきだ。

 新型コロナが発生して半年ほど過ぎた昨年夏頃には、業務レベルの対応から戦略レベルへの切り替えがされるべきであったが、政府は油断していたのか、力不足なのか安きに走ってしまったようだ。新型コロナは長期戦になることが十分に考えられた時期にあったにも関わらず、抜本的な対策を打たずにスルーしてしまった。そして今なおその取り組み方は変わらない。 例えば、

1.病床確保の認識、先読みが甘かった。日を追うごとに病床の確保は難しくなることが自明であったにもかかわらず、感染症受け入れ病院の確保増大、専門病院の設置に動く気配はなかった。新型コロナは稀にみる大型感染症だけにどれほどの規模の病院、センターを、全国のどこに配置していくか、そのための医療従事者の確保、充足できないときの医師等の配置転換等を伴なった緊急人材養成、感染者の安全・スピーディな搬送体制、既存病院との役割分担、連絡網の構築等々での政策はなおざりにされてしまっていた。

2.ワクチン開発は主要国はすでに着手していたが、日本はかなりの遅れをとった。政府は早くから積極的に旗ふりをして主要病院、製薬会社、医療機器メーカー、大学等の連携体制づくりはもとより、それらへの人材、施設、予算等の投入、調整等をすべきであった。

3.また、そのワクチン接種においても、せっかくワクチンが海外から確保できたのにも関わらず、打ち手がいないということから国民への接種が遅れに遅れ、先進国の中では接種率は下位レベルにある。これが今日コロナ患者が急速にふえる大きな要因になっている。アメリカはコロナ対策は遅れたが、一般人にも接種作業(打ち手)を認めるなど柔軟な姿勢で臨み、接種率は世界の上位レベルまでもってゆくとともに、早々に感染を抑え込み経済活動再開にこぎつけている。主要諸国も非常事態ということから強力な取り組みでそれぞれ成果をあげている。

4.GOTOキャンペーン、これがその後のコロナへの取り組みを難しくし、現在の医療崩壊をも招く要因にもなった。
 昨年の後半、新型コロナの感染は下火になりかけたように見えたかの時期があった、政府は間を入れずコロナ終息に向かいつつあることの成果を知らしめるべく、また、国民(関係業界含む)のご機嫌をとるべく GOTOキャンペーン を打ち出してきた。旅行や飲食をすれば、期間、金額等限定であるが費用の半分近くを国が負担しようとするものだ。まだ、コロナが完全に終息していないだけに旅行、食事に行ってコロナに感染したくないという国民もいたと思うが、コロナを忘れてしなったのかと思わせるほど、そこそこの国民が反応した。1回では物足りなく2回、3回と利用するものも少なくなかったようだ。ところが、コロナの感染がぶり返してきたため政府はあわてて中止に追い込まれる。


 GOTOキャンペーン の実施には大きな予算を必要とするため、 政府は 詳細を詰めるのに時間を要した。また、中止に至っては国民も代金を負担してしまっているだけにキャンセル料の扱いなど一層慎重な扱いを要した。いずれにしても政府はコロナが終息もしていないのに、多額の金と大事な人材と貴重な時間をこのキャンペーンに費やしてしまった。またこのあたりから国民の気のゆるみも増幅されはじめた。政府がこの大事な時期に本腰をいれてコロナ終息に取り組んでいたなら、国民はコロナは一筋縄でおさまるものではないとう自覚、緊張感をもってコロナに対峙しておれば、今日のような医療崩壊という最悪の事態を迎えることは避けられたであろう。


 この場に及んでも今なお GOTOキャンペーン 再開を望む声がくすぶり続けているのはいかがなものかと思う。
リサーチ会社に依頼して、コロナに感染した方、していなかった方のGOTOキャンペーン の利用の有無をリサーチすれば、とんでもない結果が出てきそうだ・・・。

5.最近で言えば「抗体カクテル療法」である。せっかく新型コロナに対していい治療方法を発見しておきながら、その普及で大きな失態をやらかした。                 「抗体カクテル療法」 は新型コロナに感染しても感染7日以内の軽症者には重症化を防ぐ効果があるという。ところが厚労省は「入院してる患者にだけ使用を認める」との通達をだした。入院したくても入院ができなく自宅療法になってしまっている感染者が全国に12万人ほどもいるさなかにおいてである。運よく入院できている患者の多くはと言えば効果がでる感染7日迄をとっくに経過してしまっている。緊急事態宣言下において、本当に非現実的なはなしだ。いったい大きな効果が期待される「抗体カクテル療法」はどこで使おうというのか。この通達はまわりからのブーイングで早々に変更されて、“入院以外、つまり外来(通院)でも医師の立ち合いがあれば認める”ことに変更になった。お粗末すぎる。 

 もともとの厚労省の言い分は、 「抗体カクテル療法」 は医師による接種後一日の経過観察が必要だからということであった。入院だったらそれがかなうと言うのだ。患者一人に医師一人という単純な発想からすれば医師の数は無限大になってしまう。ところがこの発症率は100人に1人ぐらいとのこと。だったら “緊急事態宣言”下 の中である、大病院だけ負担を強いるだけでなく、地域の町医者にも新型コロナ対策に参加してもらい、地域の学校等の施設(体育館、公民館等)を徴用して、その地域の町医者に輪番制で 「抗体カクテル療法」 後の経過観察をお願いすれば解決できることだ。

 この非常事態下においても省庁は机上で決めてしまう安易さ、役所の仕事の取り組み方がこの場に及んでも変わらないことに驚かされる。一人でも多く国民の命を守りたいという情熱、やさしさがあれば、上記通達前にもっと事案の深堀ができたはずだが・・・・・。                      

 ところで 、この 「抗体カクテル療法」を集団会場を設置して実施するための予算は、今までのコロナ関係で使った額からすればほんのわずかである。これを都道府県レベルまで政策的に落とし込み実践させていくことこそが政府の本来の役割だ。

6.最近になって噴出しだした野戦病院設置の議論についても、入院したくても入院ができなく死者が出て医療崩壊がはじまってしまった今になって、「ざけんな!」と言いたくなる。中国などは昨年夏ごろ、1週間ほどで大規模なコロナ専用病院を設置して治療開始するなどでして早々にコロナを鎮静化にこぎつけている。大きな敷地にテントをはったり、運動施設等を借り切たきって急場をしのいだ国もある。日本では最近、やっと野戦病院という名のもとに、設置してはとの話が持ち上がっている。とかく日本は後手後手の 後手後手である。非常に残念だ。                 

 以上、政府の無策をあげれば切りがないが、本当にお粗末そのものだ。国はコロナ関連で金は出したと思うが、それ以上のことは民間任せ。各省庁は法令の縛りから言い訳ばかり。今、わが国の多くの地域は“緊急事態宣言”下にあるのだ。そのへんの危機意識が国民もそうであるが、政府、官僚にも乏しい。

 特に今や、救急車で患者を運んでも受け入れてくれる病院がなく、自宅に戻されてしまう。十分な治療が受けれなく亡くなる方も増えてきている。あなたが今、急にぶっ倒れても入院できる病院は、この日本にはないのですぞ! おおよそのインフラが整っている現代社会において、大変恐ろしいことである。まさに日本は異常事態だ

 この国家的非常事態宣言下、国民の健康を最優先に考えた法の拡大解釈があっていいと思う(自衛隊の件では憲法の拡大解釈があれだけできたぐらいだ。)。それが心配なら、国会でどんどん審議して法案を可決していけばいいだけのことだ。諸外国は取りうる最高の権限でコロナ鎮静化に取り組んでいる。日本の国会は現在、夏休み中、政府も国会議員からも臨時国会開催の強い声が聞こえてこない。わが国は長く続いた平和ボケの後遺症にさいなまされているのか。

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アベノミクス このままで大丈夫なのか!?

1.政府の独りよがりになりつつあるアベノミクス
アベノミクスが言われてから4年近くに、当初は株価が上がり経済に期待する向きもあったが、今では不信を抱く国民が半数以上にも。以前と比べ生活がきつくなっているという実感のあらわれではないか。4年ほど前に民主党(現民進党)から自民党への政権交代が、新政権はアベノミクスを掲げてスタートした。一時は世界が注目しマスコミにも大きく取り上げられただけに、今ここでそれを下すことの怖さもあるのではないだろうか。本当にアベノミクスはこのままでいいのか検証しながら考えてみたい。
2.アベノミクスは、一部の企業、資産家に潤いをもたらしたが、国民生活はきつくなっているのはなぜ!?
a.金融政策に目が向きすぎたアベノミクス
アベノミクスの三本の矢とは、「大胆な金融政策」「機動的な財務政策」「民間投資を喚起する成長戦略」。この中で政府が派手に手を打ったのが金融政策だ。アベノミクスが公になった時期というのは、円高が急速に進み自動車等の輸出産業は利益が為替差損で大きく食われていた。政府は長きに渡るデフレ経済から抜け出すべく2年間で物価2%アップを目標に掲げ、日銀にその実現を促す。慎重な政策展開をしてきた日銀も、現総裁に代わるやこの目標に大胆に挑み金融緩和をたびたび実行、政府も都度円売りに走り円高を抑えることに。折しも世界経済の様相が思わしくなくなってきたことも重なり円安に傾いた。これにより輸出関連業界は好決算享受へ、株価は9、000円台から15、000円台ぐらいまでに上昇して資産家は利益を獲得。企業も好決算で得た利益は、一部は株主(資産家)配当へまわったものの多くは内部留保へ、賃金については好決算にスライドしたものにならなかった。それどころか非正規社員の割合が増え続けて家計の安定性が揺らぐことになる。
b.安易なデフレ脱却策が国民生活に仇を
デフレ経済から脱却すべく政府の物価2%アップ目標については、消費税を5%から8%にしたこととその駆け込み需要で当初物価が上昇するが2%には届かず。3~4年たった今でも達成できていない。というより達成は厳しい様相にある。消費税を3ポイント上げたのだから2%の物価上昇は軽く達成できてもよかったはずなのだが、当初緩むかに見えた国民の財布のひもは、逆に固くなってしまうことに。
原因の一つは、内税方式が原則の消費税を8%にするときに外税方式を許容したことにある。食品業界とか、家電業界という一般生活者に近い業界がこぞって外税にした。消費税が8%になっても国民が買い物する際の判断は、記憶にある過去の(内税)価格との比較になってしまいがちで、3ポイント安くなったかのようにみえるのだ。だから買い物に行くと目に留まる商品全てが安く見えて国民の財布の紐も緩んだ。ところが1か月後の家計簿は赤字、これが続き国民は買い控えに向かうのだ。
また、この外税での本体価格表示と内税での税込み価格表示を比べると3ポイント安くなったようにみえることに悪乗りして本体価格そのものを2ポイント、3ポイントあるいはそれ以上に上げるメーカー、流通業者も出てきたことだ。
特に昨今、消費税が8%になって2年余りも経過すると、国民は当該商品の記憶にある価格が内税であったときのものなのか外税のときのものなのかがわからなくなり、買うのを躊躇することも。(とんでもない「外税方式の許容」だ!)。
c.“円安”の反動
円安は先のとおり輸出産業を潤し、株価の高騰をもたらしたが、反対に輸入産業は悲鳴を上げた。国民にとって身近なところでいうと食材だ。我々が日々口にする食品は、お米を除き多くは輸入に依存している。例えば、国産牛、牛乳はその飼料は輸入。パン、菓子類に使う小麦、豆腐、納豆、醤油等に使う大豆もほとんどが輸入。植物油も原料は輸入、野菜、果実、魚介類の輸入も増加してきている。これが円安により家計にインパクトを与えているのだ。
行き過ぎた円安の結果といえる。このへんのところ、輸入が多い我が国のようところでは、輸出産業とのバランスがとれるあたりでの円相場が望まれる。これはまさに日銀の領域だ。
以上の「a」から「c」によりアベノミクスがスタートして3~4年経過しても家計は一向に改善されないのだ。残念ながらこのへんの生活実態が政府を取り巻く専門家ぶる集団、普段生活用品の買い物にいかない学識経験者たち、官僚のみなさんに見えていないようだ。

3.行き過ぎた金融政策等により、国民の資産までが目減りに。
アベノミクスは日銀の金融緩和、政府の円売りの度重なる発動等により円安、株高をもたらすが、この値動きというものは「為替取引」「株式売買」で決まる。株式を例にあげると値が上がり続けるという保障はない。そこには得をするものがおれば損をするものも必ずいる。従来は市場のメカニズムが働きほどほどの損得で収まっていたが、昨今は取引の多くがコンピュータを使った売買になり市場の読みが難しくなっている。そこに、公的機関による莫大な金額が市場に流れ込んでくると不測の事態も起りうる。事実、皆さんも記憶にあたらしい年金資産の株取引での5兆円損失事件。従来年金資産は危険度の低い国債等債券への投資が主であったが、株式への積極的な投資が許容された矢先の出来事だ。しかも、日銀、年金機構等の公的機関による株式への投資は、8/29付日経新聞の記事によると「東証一部上場企業の4社に1社の実質的な筆頭株主となっている」ということだ。そして記事は「株価を支える効果は大きい反面、業績など経営状況に応じて企業を選別する市場機能が低下する懸念がある」としている。市場のメカニズムに人為的な要素が大きく加わってくれば、今後の株式等投資での判断を一層難しくする。つまり株投資リスクが高まることだ。年金資産の運用は、額が大きいだけに、投資に際しては他への影響等を十二分に考えた判断が求められる。

国民一般についてもそうだ。最近は株取引の多くがコンピュータで瞬時にされるだけに、個人がパソコン等を使った手作業では取引のタイミングを逸しかねない。といって銀行預金も日銀の金融緩和策で利率がどんどん低下しマイナス金利に、今や預金してもほんの気持ちだけの利息。物価の上昇を考えると国民一人一人の資産も目減りの一途だ!

4.「成長戦略」がもたついている。アベノミクスを評価できるかどうかは、「成長戦略」の経済政策を含めた具体策を提示・実行し成果を出せるかにかかっている。
アベノミクスは、結果が出やすい金融政策の方に気をとられ成長戦略での諸策が遅れ遅れになっていたが、先般の内閣改造で動き出したようだ。
当初のアベノミクスは、「大胆な金融政策」「機動的な財務政策」「民間投資を喚起する成長戦略」の三本の矢でスタートしたが、昨年秋に「希望を生み出す強い経済」「夢を紡ぐ子育て支援」「安心につながる社会保障」を新三本の矢として掲げ、先般、働き方や産業構造の一体改革に取り組み、成長力の底上げに事業規模28兆円の「未来への投資を実現する経済対策」を決めている。

その経済対策メニューの一つ「働き方」では、小手先だけのものが散見され、目立った経済効果は出るのか懸念される。もう一つの「産業構造」ではIoTを掲げ時代の先取りをにおわすが、国民生活レベルまで汎用化されには時間を要しそうだ。最後の「インフラ整備」では、20年から30年先のリニア中央新幹線があげられているが、ここ5年から10年での経済効果は望めそうにない。そこにお決まりの空港、港湾の整備まで出てくる始末。現在、48の都道府県に対して空港は98ケ所もある。平均一県に2空港強と異常な状況だ。これの廃港、他目的活用を考えたほうがまだ新たに金を使うより経済効果が出そうだ。

とかく、過去の政治の流れを見ていると、諸処の政策がうまくいっていないときは呼び水を打つかのようにとてつもない大きな予算をつけるパフォーマンスが見られるが、金額の多寡で政策の良し悪しが決まるものではない。今回の28兆円は本当に確かなものなのか。

今、国の借金は、1000兆円を超している。これを国民一人あたりに換算すると800万円超の借金になる。8/14付日経新聞に「日本は戦後処理で、国の借金を価値の落とした新札への切り替え等で帳消しに」というような記事があった。よく歴史は繰り返されると言われるだけに人ごとでは済まされない。

とかく経済政策では、国も都道府県もそうだが一旦決まるとストップがきかないようである。それを決めた政治家、役所のメンツ、しがらみとうものがそこにあるようだ。日本の今置かれている状況を考えると、己のメンツ、諸処のしがらみどころではないはずだ。たとえ政策が公になっても、或いは建設がはじまっていても、効果が期待できない事実が明確になったときは、ストップをかけれる勇気が今の政治家にほしい。

国の借金、1000兆円余りが国民一人一人の資産(銀行預金等)に大きな影響をもたらさないように、遅きではあるが今回の28兆円からは、本当にこれに十分に見合うだけの経済効果はあるのか、国の借金を減らすだけの大きな結果が出るのかを検討に検討を重ねてもらいたいものだ。

5.今こそ政治家には、己の保身、党のためのパフォーマンスを止め、泥をかぶってでも国家、国民、そして将来の日本を担う子たちのための真の政治家魂発揮が期待される。
以上の「」から「」で国民の多くは冷めているようだ。給料はそれほど上らないのに価格上昇傾向で家計は厳しく、そこに中高年の給与の頭打ち、非正規社員化等の波で生活が不安定化、企業の人減らしで残された社員への責任も重くのしかかる。主婦も働かなくては家計が維持できない現状、これも年齢が上ってくると職につけるかどうかもわからない。年金も期待した額がもらえるかどうか不透明、子供の学資は大学まで用意しなくてはならない時代になっているが、大学を卒業してもきちっとした企業に正社員として入社できるかも定かでない。等々国民はまさに追い詰められている。財布の紐がきつくなってもしかたがない。
国民だけではない。円高でかなりの蓄えができた企業も同様なのだ。先が読めなく稼いだ利益は非常時にそなえてギュッと握ったまま、だから大きな投資も手控えの状況だ。

政府、日銀は、デフレ脱却に向け金融緩和を推し進めてきたが、期待の企業は利益をため込んできている。そこに金利を低くして市場に金を放出しても食いつてこない。金利をマイナスにしても思うような状況になってこないことは当局も気づいているはずだ。
どうも日銀は古い経済学の教科書どおりのことをしているように見えてならない。特に今の経済はそんなシンプルなものではない。日銀は、経済の判断で見落としている部分、あるいは軽く見ている部分が多々あるのでないだろうか。市場経済の実態を机上だけでなく、己のこの目でしっかり見て判断してもらいたいものだ。

マイナス金利では銀行経営にも陰りが出始めている。期待できる企業はそこそこの資金をもっているので借りようとしない。だからと言って期待できない企業への貸出しは不良債権になりかねなく安易な融資は躊躇される。というのは10~20年ほど前の不良債権整理での銀行の統廃合、不良債権回収騒動等が思い出され銀行も貸し出しには慎重なのだ。
国民一人一人もマイナス金利策で預金しても利息はほんの僅か。そこに先に掲げた不安定要因で生活防衛に走り始めている。以前の日銀はこうしたことを予想してのことだったのか慎重に事を進めてきた。ところが最近の日銀は大胆にどんどん進める。マイナス金利策に至ってとうとう企業も個人も“身構えに入った”感がする。

今、社会はまさに先の見えないことが多くなりすぎて“大きな不安”下にある。この大きくなりすぎた不安を払拭しないかぎり、経済の好転は望めそうにない。 昨今のポケモンGO!をはじめとするゲームに国民の多くが熱中するのも、こうしたことからの現実逃避のあらわれに見えてくる。
今こそ政治家には、己の保身、党のためのパフォーマンスを止め、泥をかぶってでも国家、国民、そして将来の日本を担う子たちのための真の政治家魂発揮が求められる。また、政治家を取り巻くブレインらしきものについてもしがらみを捨て一新するのも、早く確かな解決への糸口をつかむために不可欠といえよう。

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元気な社会へ

重大な弊害が危惧されるマイナンバー制度

★コンピュータといえども人がきちっと処理、オペレーションをしなかったら期待どおりのアウトプットは望めない
このところ耳にしない日がないほど聞かれるのが「マイナンバー制度」。コンピュータも絡んでくるだけに半信半疑で確信が持てていないのが実情ではないだろうか。総務省のホームページを見るとマイナンバー制度導入のポイントとして「国民の利便性の向上」「行政の効率化」「公平・公正な社会の実現」が記載されている。内部の優等生がまとめたのか狙いとしては非の打ちどころがないほどだ。本当にここ何年かの間に実現されるのだろうか。それは、近年におけるコンピュータの目覚しい進歩からくるコンピュータへの過信なのか、手で出来ないこともコンピュータならなんとかなるだろうとうという甘い期待なのか。コンピュータといえども人がきちっと処理、オペレーションをしなかったら期待通りのアウトプットは望めない。果たして官公庁でのコンピュータを使った業務処理はうまくいっているのだろうか。

★きちっとした処理が絶対的な官庁での信じられない、とんでもない事件が発生、他は大丈夫と言い切れるのか?
衝撃的な出来事だったため今なお記憶が鮮明なのが、
78年前に発生したに5000万件ほどの持ち主不明の年金記録問題。幾ら照合作業しても2000万件が未解決になったままだ。銀行なら日々の業務の中で1円違っても残業して解明してきているのに信じられない出来事だ。同じお金を扱っても官庁と民間でこれだけの格差がある。旧社会保険庁がいかに大雑把な処理をしてきたか。その体質は旧社会保険庁に限らずあろうかと察せられる。そうした中で行政機関等のデータを紐付けして大きな効果を期待しているのが「マイナンバー制度」だ。コンピュータの処理に異常が発生すれば、今度は大きな社会不安、混乱を起こしかねない。

★きちっとした処理、オペレーションを脅かす人為的、悪意的、犯罪的事件が止まるところなく世界で勃発
「マイナンバー制度」は
事務処理だけでなく、コンピュータシステムそのものの安全性も問われる。例えば、総務省等が公表しているコンピュータ関連のトラブルは、資料からいくらかピックアップするだけでも次のとおり。

①6年ほど前(20097月)に韓国、米国の金融機関や政府機関等のシステムが攻撃を受け、数日間にわたりウエブサイトへのアクセス不能な状態に陥ったことに加え、推定で27~41億円の経済的な被害が発生。
4年ほど前(20114月)にソニーの子会社(ソニー・コンピュータエンタテイメント及び米国法人)のシステムに対する不正アクセスにより、個人情報(氏名・住所、 電子メールアドレス、クレジットカード番号等)約1億人分が窃取。
同じ10~11月には
衆参両院のサーバやパソコンが情報収集型のウイルスに感染していたことが報道、ID・パスワードが流出したおそれ。

③3年ほど前(20126月)には、財務省や最高裁判所などの複数の官公庁のウエブサイトが2日間に渡り、一部を書き換えられたり、閲覧できなくなる。
同じ10月にはウイルス感染により、ネットバンキングにログインした利用者のPCの画面に偽画面が表示され、ID・パスワードが窃取。これにより、 数百万円の不正送金が発生。
今年(2015年6月)は、これまた、旧社会保険庁を、改組してできた日本年金機構では、サイバー攻撃により125万件ほどの個人情報が流失するという事件が発生。
これらはみなさまも新聞等でご存じのことと思う。新聞等に公にされなかったものも含めると相当なものになるだろう。これらトラブルは日本だけでなく海外でも多く発生しているのだ。みなさまの身近なところでいえば、金融機関等からしつこくパスワードの変更をいってくるのが思いだされるはずだ。しかしハッカーはパスワードがなくても、データをごっそり窃取していく。まさにコンピュータシステムはこれらの脅威にさらされてきているのだ。

★各社、各機関のデータがマイナンバー制度で紐付けされ“社会的に一元化”の方向に進めば取り返しのない事態の発生が危惧される。
コンピュータがこの世に出てきてから
50年余り、特にこの15年ほどはIT技術の発展は目覚ましく、民間企業各社がこぞってシステム開発でしのぎをけずり、各種業務、サービスのコンピュータ化を進めてきました。これらシステム化の進展とともにハッカーもまた対抗力をつけ、頻繁にサイバー攻撃をかけるようになってきた。各社はハッカーから自社システムを守るべく各社各様のレベルの高い防御対策を講じてきている。ハッカーから見れば一社一社のシステム仕様が違うことから防御を突破するのに手間を要し、たとえ突破してもその影響は当該企業一社だけということで済んできた。これは社会全体からみれば、各企業が別々にコンピュータ処理するという“分散型”だからこそ大事に至らなかった。これがマイナンバー制度で“社会的に一元化”の方向に進めば、その危険はとんでもないものになってくる。

マイナンバーは官公庁での手続きの際だけでなく、社員の源泉徴収、社会保険手続き、顧客の会員カードをつくる際等に一般企業も触れる機会もありマイナンバー流失の危険を大きくしている。勿論個人の不注意による流失もありうる。ハッカーは個人の各種情報を得ようとした際、今だったら各社のコンピュータシステムの仕様の違いから個人の特定に手間取るが、マイナンバーがあれば確実に情報入手が出来きてしまう。しかも各機関にある特定個人の情報を芋づる式に窃取することも可能なのだ。防御策については日本の場合その道の専門家が少なく、日々どこかの会社で発生しているハッカーからのサイバー攻撃への処置でオーバーワークの状況にある。現段階ではこれ以上のワークを彼らに望めない。

こうしたことからマイナンバー制度をこのまま推し進めると、ややもすれば日本はハッカー達により素っ裸にされ、情報操作で世界の操り人形に化してしまいかねない。故に今は“分散型”でコンピュータ化の恩恵に預かり、頑強なシステム構築技術、防御技術の飛躍的な発展、つまり、ハッカーが手を出せなくなるような情報システムの開発が可能になるまでコンピュータの“社会的一元化”は見合わせた方が望ましいといえるのだ。


〔追加〕 今回のマイナンバー制度の大きな狙いは、「公平・公正な社会の実現」にあると思われる。また、現在の官公庁の事務手続きの煩雑さも見逃せない。だからどうしてもということであれば、今のシステム構築技術、防御技術レベルからすると感心はできないが、マイナンバーでなく“官公庁事務手続き共通個人ナンバー”として、国民には番号を通知せず官公庁の範囲だけで使うのが苦肉の策かもしれない。勿論、そこでは番号の流失による個人資産等の損失が発生したときは国民の番号管理責任外にあるので、官公庁、そしてその上位の国が責任をもつのは自明のことだ。

2015.12.11    BSブレイン



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 パフォーマンスだけで、行動になってこない政府そして日銀

◆国家戦略室は何だったのか
 毎日、新聞の一面を賑わすのは「円高」と「株安」。新聞、マスコミ等は、政府関係者からこれらについての発言がでると、こぞって「遅すぎた政策・・・」と書くが、おもわせぶりの発言だけで終わりがち。近年、これほど空振りを食わせる政府もめずらしい。民主党に政権が移行して「国家戦略室」といういかめしい組織を立ち上げたあたりから、胡散臭さを感じていた。もともと“戦略”という言葉は軍事面で使われており、現代では経営学の領域で「経営戦略」、「戦略会計」、「システム戦略」等々、構造的な変革、長期的な取り組みを意識した中で使われることが多くなっている。私も経営コンサルタントとして多くの企業の方と名刺交換をしてきたが、部門名に“戦略”をつかった企業にお目にかかったことはない。よく使われる名称は、「経営企画部」とか「経営計画部」とか「経営管理部」とかである。戦争でもないのに“戦略”という名称を国家の主要機関の名称に取り込むのは異様である。前向きにとれば、「政府は慣習、慣行にとらわれずに、新しいことにどんどん取り組んでいく」という姿勢を示していようにみえるし、批判的にみれば「カッコよさにこだわりすぎたのかな」といいたくなる。初代の担当大臣は今の総理である菅さんである。この方の肝いりで出来たような組織であるから当然といえば当然である。この組織ができて1年近くになる。勿論、菅内閣にも引き継がれている。ここにきて、如何にこの組織が形骸化したものであったのか、見せかけだけのものにすぎなかったのかが、今回の「円高」と「株安」問題で露呈されてる。政府、その重臣である菅総理からは、「経済政策、金融政策をつめたい」という言葉が再三、再四聞こえてくるが、見えてこない。わが国には「財務省」「経済産業省」以外に、上位機関として「国家戦略室」がある。ここで、当然、これらについて既に十分検討しつくされていてもいいはずであった。一体何をやっていたのかといいたい。組織名は、「国家戦略室」であるが、本当の意味での“戦略”になっていない。これでは「国家戦略室」でなく、「国家事務室」である。

◆経済政策、金融政策等は国政の根幹
 経済政策、金融政策等は国政の根幹である。緊急を要するこのような時期に、政府の方から聞こえてくるのは雇用問題。具体策として就職、雇用支援金的なものの検討もされているが、根本的な解決策にはならない。今日の政治的課題は、「円高」と「株安」の対応策に凝縮されているといっても過言ではない。これこそまさに“戦略”課題といえよう。これ以上円高が続くと企業は海外に出ていってしまう、工場だけでなく本社までもがである。日本の空洞化はここにきて加速を増すであろう。中小企業はより一層のコストダウンを強いられ、大企業の部品の海外調達化により操業の大幅ダウンに追い込まれていく。大企業も中小企業も新卒の雇用どころではなくなってしまう。そればかりか現在雇用されているもののリストラも強まる。また、「株安」は企業の財務状況の悪化、銀行の自己資本比率の低下、国家の年金資産、個人の所有資産の大きな目減り等をも招く。政府、日銀が手をこまねいている間に、国民経済全てがどんどん悪化の方向に進行しているのである。こうした最中でも政府は新卒者採用プロジェクトを立ち上げるとかの枝葉のこと、“戦略”からは遥か遠のいていることに目がいっている。政府と国民経済との温度差を感じずにはいられない。
 また、与党である民主党は民主党でマニフェストにこだわりすぎている。その最たるものが「子供手当の支給」である。今なお、満額に近づけようとしている。マスコミ等でも明らかなように経済効果などほとんどなしである。私は経営コンサルタントしてマーケティングでのフィールド調査もする。その際、街中を歩いても思うことは、「子供手当は本来の目的である子供のためにほとんど使われていない」というマスコミの報道を実感させられることだ。この手当が支給されるのは30代の親が多い。いま、街の中を見渡すとコの字型に区画されたところに一戸建ての新しい家がたくさん建っている。ここに住んでいる方の多くは30代である。昔は40代、50代で持家を取得したが、この景気がよくない中でワン世代も早くなっている。そして、これらの新築の家では申し合わせたかのように新車が置かれている。おそらく、子供手当は家のローンの返済のたしに、或いは新車購入での穴埋めに預金されてしまっているのである。今は選挙での票集めに方に目を向けている余裕などないはずである。的を外したことに時間と金をとられ、大事な政策全てが遅きに失してしまっている。派閥闘争をすること、金をばらまくことが政治ではない。ほんとに政治が分かっているのであれば、、「円高」と「株安」の対応で政治力のあることをを知らしめるべきであろう。これをしっかりやるだけで民主党の代表選の結果は見えてくる。

 しかし、残念なことに経済政策、金融政策などは慌てて8月末までにまとめるほど、軽いものではない。たとえ、出来たとしても小手先のことだけでは効果も期待できない。持続性も望めない。このまま何もしないよりはましだと思うが・・・・。
日本は、「円高」と「株安」問題で海外に政府の無為無策さ、日銀の決断力のなさを知らしめてしまった。