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元気な社会へ

 パフォーマンスだけで、行動になってこない政府そして日銀

◆国家戦略室は何だったのか
 毎日、新聞の一面を賑わすのは「円高」と「株安」。新聞、マスコミ等は、政府関係者からこれらについての発言がでると、こぞって「遅すぎた政策・・・」と書くが、おもわせぶりの発言だけで終わりがち。近年、これほど空振りを食わせる政府もめずらしい。民主党に政権が移行して「国家戦略室」といういかめしい組織を立ち上げたあたりから、胡散臭さを感じていた。もともと“戦略”という言葉は軍事面で使われており、現代では経営学の領域で「経営戦略」、「戦略会計」、「システム戦略」等々、構造的な変革、長期的な取り組みを意識した中で使われることが多くなっている。私も経営コンサルタントとして多くの企業の方と名刺交換をしてきたが、部門名に“戦略”をつかった企業にお目にかかったことはない。よく使われる名称は、「経営企画部」とか「経営計画部」とか「経営管理部」とかである。戦争でもないのに“戦略”という名称を国家の主要機関の名称に取り込むのは異様である。前向きにとれば、「政府は慣習、慣行にとらわれずに、新しいことにどんどん取り組んでいく」という姿勢を示していようにみえるし、批判的にみれば「カッコよさにこだわりすぎたのかな」といいたくなる。初代の担当大臣は今の総理である菅さんである。この方の肝いりで出来たような組織であるから当然といえば当然である。この組織ができて1年近くになる。勿論、菅内閣にも引き継がれている。ここにきて、如何にこの組織が形骸化したものであったのか、見せかけだけのものにすぎなかったのかが、今回の「円高」と「株安」問題で露呈されてる。政府、その重臣である菅総理からは、「経済政策、金融政策をつめたい」という言葉が再三、再四聞こえてくるが、見えてこない。わが国には「財務省」「経済産業省」以外に、上位機関として「国家戦略室」がある。ここで、当然、これらについて既に十分検討しつくされていてもいいはずであった。一体何をやっていたのかといいたい。組織名は、「国家戦略室」であるが、本当の意味での“戦略”になっていない。これでは「国家戦略室」でなく、「国家事務室」である。

◆経済政策、金融政策等は国政の根幹
 経済政策、金融政策等は国政の根幹である。緊急を要するこのような時期に、政府の方から聞こえてくるのは雇用問題。具体策として就職、雇用支援金的なものの検討もされているが、根本的な解決策にはならない。今日の政治的課題は、「円高」と「株安」の対応策に凝縮されているといっても過言ではない。これこそまさに“戦略”課題といえよう。これ以上円高が続くと企業は海外に出ていってしまう、工場だけでなく本社までもがである。日本の空洞化はここにきて加速を増すであろう。中小企業はより一層のコストダウンを強いられ、大企業の部品の海外調達化により操業の大幅ダウンに追い込まれていく。大企業も中小企業も新卒の雇用どころではなくなってしまう。そればかりか現在雇用されているもののリストラも強まる。また、「株安」は企業の財務状況の悪化、銀行の自己資本比率の低下、国家の年金資産、個人の所有資産の大きな目減り等をも招く。政府、日銀が手をこまねいている間に、国民経済全てがどんどん悪化の方向に進行しているのである。こうした最中でも政府は新卒者採用プロジェクトを立ち上げるとかの枝葉のこと、“戦略”からは遥か遠のいていることに目がいっている。政府と国民経済との温度差を感じずにはいられない。
 また、与党である民主党は民主党でマニフェストにこだわりすぎている。その最たるものが「子供手当の支給」である。今なお、満額に近づけようとしている。マスコミ等でも明らかなように経済効果などほとんどなしである。私は経営コンサルタントしてマーケティングでのフィールド調査もする。その際、街中を歩いても思うことは、「子供手当は本来の目的である子供のためにほとんど使われていない」というマスコミの報道を実感させられることだ。この手当が支給されるのは30代の親が多い。いま、街の中を見渡すとコの字型に区画されたところに一戸建ての新しい家がたくさん建っている。ここに住んでいる方の多くは30代である。昔は40代、50代で持家を取得したが、この景気がよくない中でワン世代も早くなっている。そして、これらの新築の家では申し合わせたかのように新車が置かれている。おそらく、子供手当は家のローンの返済のたしに、或いは新車購入での穴埋めに預金されてしまっているのである。今は選挙での票集めに方に目を向けている余裕などないはずである。的を外したことに時間と金をとられ、大事な政策全てが遅きに失してしまっている。派閥闘争をすること、金をばらまくことが政治ではない。ほんとに政治が分かっているのであれば、、「円高」と「株安」の対応で政治力のあることをを知らしめるべきであろう。これをしっかりやるだけで民主党の代表選の結果は見えてくる。

 しかし、残念なことに経済政策、金融政策などは慌てて8月末までにまとめるほど、軽いものではない。たとえ、出来たとしても小手先のことだけでは効果も期待できない。持続性も望めない。このまま何もしないよりはましだと思うが・・・・。
日本は、「円高」と「株安」問題で海外に政府の無為無策さ、日銀の決断力のなさを知らしめてしまった。 

                             

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任せられる教育へ

〈賢い塾選び〉 その1.有名公立高校への進学実績数だけを標榜する塾に注意!

◆塾選び、進学実績数だけに目がいっていないだろうか
   家庭に入るチラシで多いのがマンション・建売、アルバイト、スーパーの安売りであるが、意外と入っているのが塾チラシ。先のチラシ配布が比較的少ない週前半にかたまっている。いかにも他塾と比較してくださいと言わんばかり。一般のチラシと違い個性がよく表れているのが塾チラシの特徴といえる。特に大手塾は、進学実績数の羅列で表面一杯を使い、裏は学年別あるいは小学校、中学校別にカリキュラムの内容を簡単に記述して料金表を掲載するスタイルをとる。ややもすると、進学実績数だけで塾選びをしてしまいかねない。

◆子供たちは、教えるのが上手な講師のもとで、伸び伸びと勉学に励んでいるのか
  塾関係者に尋ねると、やはり、できる子たちは進学実績数のある塾に集まりがちなようである。そして、できる子たちは自らどんどん勉強するので、たとえ講師がよくなくても進学実績数は確保されるとか。ところがその裏には由々しき問題も存在するようである。それは有名公立高校への進学実績を信じて入塾してきた中レベルの子たちである。できる子たちは分かりがいいだけにツーカーで教えられるが、中レベルの子たちは講師に十分教える力なくしては持ち上げきれないのである。事実、有名公立高校への進学実績数を標榜する大手塾に期待を膨らませて入塾しながら、その有名校に行けず中或いはそれ以下の高校に行かざるをえない子たちも多い。入塾試験を行いふるいにかけて預かった子たちである。本当に講師に教える力があるなら全員とまでいかなくてもその多くが有名校或いはそれに近い高校に進学できてもいいはず。しかもこういう子たちの塾生活というのは、本命から外れている子たちだけに担当する講師も二流になりがち。二流だけにこれらの子たちを見下すような言動もでがちなようである。しかし、この子たちは親の大きな期待をしょっている手前、こうした現状を口にも出せず通塾をつづけるのである。まさに大手塾の中ぐらいの子たちは塾経営のサポータになってしまっている。これが有名公立高校への進学実績数だけを標榜する塾の実態である。

◆「如何に分かりやすく教えられるか」、これが中堅塾の命運を分ける。
  ところが、中堅塾においては、中ぐらい或いはそれ以下の子たちが入塾してくる。それだけに、講師の教える力がものを言う。分かりづらいところをいかに分かりやすく教えきれるかに講師、そして塾の命運がかかっている。だから彼らは必死である。うまく教えることに人一倍神経をとがらせている。そこに中堅塾の強さがあるようだ。特に個別指導では大学生が多く使われているが、ある国公立大学生を多く使う塾の塾長は「名の知れない塾にいた子の方が、教え方が上手いし、生徒からも人気がある」と話す。塾長の上手い教え方が自然と塾生に伝授されていってるのであろう。力のある中堅塾は、中ぐらいの子たちを預かって有名校或いはそれに近い中堅高校に一人でも多く進学させることに力を注ぎこむ。それが教える力において大手塾より勝るものにしていく。こういう塾を見抜く力が、中ぐらいの子たちを抱える親には求められる。

 とは言っても、私のような経営コンサルタントであれば塾の良しあしの判断はつくが、一般の方であれば、まずは、身近なところの情報としてチラシを使うのもいいようである。
①チラシの文面がわかりやすく丁寧に書かれているか。
②デザインにこだわりすぎたものになっていないか。些細なことを誇張表現していないか。大事なことを小さく、場合によっては虫眼鏡を使いたくなるような小文字で書いていないか。
③特に昨今、安易に使いだした「成績アップ保証」、保証という限り一回ぽっきりでなく塾在籍中その保証はあるのか。(このへんのところ、問い詰めていくと、必ず保証という言葉とかけ離れた仕組み、入塾させんがための魂胆が見えてくる。「成績アップ保証」を大きく掲げる塾は特に注意である。)
④授業料等の金額表示が明瞭、つまり具体的に掲載されているか。それ以外にかかる費用はないのか、隠されてはいないか。
等々をチェックしていただくとおおよそのところは見抜くことができるであろう。もう少し突っ込んだチラシの見方は、次回以降でご紹介するつもりである。